横浜鶴見の「沖縄芸能」歴史について古里友香さんにインタビュー(三線、琉球舞踊、琉球筝曲)

沖縄タウンと呼ばれる横浜市鶴見区。
(→なぜ鶴見は沖縄タウンと呼ばれるのか?
多くの沖縄の方が鶴見に移り住みどのように沖縄芸能が鶴見に広まり今に伝わるのか?
「古里友香」さんは、この鶴見の芸能の歴史について調査を行っております。
沖縄出身でも鶴見出身でもない古里さんが、沖縄芸能の魅力に惹かれ、自ら三線の教師免許まで取得しなぜ沖縄芸能の歴史を調べ始めたのか?そのあたりのお話をお聞きしてまとめてみました。

古里友香(ふるさとゆか)さん
プロフィール

2003年
「琉球民謡登川流関東支部」大城康彦氏に師事
2011年
「琉球民謡登川流」教師免許取得
2021年
「神奈川大学大学院 歴史民俗資料学 研究科」入学
2022年
「鶴見歴史研究会」発足

現在は本格的に「鶴見の沖縄芸能」の調査を開始している。

なぜ鶴見の沖縄芸能の研究を始めたのか?

きっかけは「三線」
東京出身の古里さん。約20年以上前に沖縄旅行で三線に出会い「東京周辺で三線を教えているところはないのか?」とたどり着いたのが「鶴見」だった。
師匠である「大城康彦」氏に出会い、三線と共に文化や歴史を教わり、いつしか「鶴見の沖縄の芸能」に魅了されていたとの事。

沖縄民謡、古典、舞踊、琉球箏曲、など
鶴見の先生たちにとって現在の芸能活動は生活の中に溶け込んだ日常であり、当たり前すぎて逆にその貴重さに気付いていない場合も多い。

第三者目線で鶴見に関わるようになった「古里さん」だからこそ
この地に受け継がれている「沖縄芸能」が大変貴重で他の地域では見られない独自性があるという事に気付けたのかもしれません。

沖縄出身でも鶴見出身でもない私が今「鶴見」で沖縄文化に出会い、魅了され仕事としているという事に勝手に親近感がわいております。

戦後間もない頃、鶴見に沖縄芝居の劇場があった

これは知りませんでした。。

戦時中の横浜大空襲で鶴見も焦土と化した、、
南洋諸島などから引き揚げてきた方々は横浜に集められ、沖縄出身者たちは続々と「鶴見」に集まったそうです。その中には「芸能家」も多数いらっしゃり、毎日のように郷土芸能を演じ当時鶴見で暮らす人たちを喜ばせていたとの事。
驚くことに住民の家屋再建よりも先に仮小屋の郷土劇場を建てられたというエピソードもあるそうです。それぐらい「芸能」は沖縄の人にとって大切なもので、住民に勇気を与えていたのだろうと想像できます。

昭和28年頃からは「鶴見沖縄芸能協会」が発足され琉球舞踊、琉球箏曲、三線といった組織に分かれ教室を開いたりという活動に入っていきます。
やがて鶴見で生まれ育った2世芸能家(現在でも現役で活躍されている先生)たちが誕生する。
幼い頃から沖縄の芸能が身の回りにある環境で育ち、中にはもっと本格的に「沖縄芸能」を学びたいと当時アメリカ占領下であった沖縄へ留学というカタチで長期滞在をして芸を磨いた方たちもいたそうです。芸能留学ではビザがおりず苦労したというお話も聞きました。

さまざまな流れを経て現在の鶴見に受け継がれているのです。

そして未来へ

歴史と共に鶴見の地に生き続けている「沖縄芸能」
沖縄から遠く離れた地域で伝統を守り、時代と共に独自の進化をして生き続けています。
鶴見の沖縄芸能は次の世代へ引き継がれていくのです。

これからも古里さんの調査は続きます。
もしこちらの記事をご覧の方で沖縄芸能に関して「当時の鶴見の写真や文書」をお持ちの方がいらっしゃいましたら「ぜひ拝見させてほしい」との事です。まだまだ知られていない歴史があります。今後の古里さんの活躍が楽しみです。

横浜鶴見沖縄芸能
横浜鶴見沖縄芸能

古里さんの現在までの調査をまとめたパネル展が2024年1月31日まで開催中!もっと詳しく写真と共に展示されておりますのでぜひ行ってみてください。
※パネル展は2024年1月31日終了いたしました


横浜鶴見の「沖縄芸能」今昔物語

  • 場所:常民文化ミュージアム企画展示室
    神奈川大学横浜キャンパス3号館1階
  • 月曜日~土曜日(日曜、祝日 休み)
  • 10:00~17:00(土曜日は授業期間のみ)
  • 入場無料

もっと詳しい内容のお話をご本人より頂きYouTubeに公開しております。
私も鶴見に20年くらい住んでますが知らない事がいっぱい。。とても興味深いお話でした。
ぜひご覧ください!



こちらの書籍も併せてどうぞ!関洋さんの最高傑作書籍。
私もこちらで勉強させて頂いております。
『たるーの島唄まじめな研究』
著者の20年にわたる研究やフィールドワークの成果が待望の書籍化!プロアマ問わず必携の参考書!難解だった沖縄民謡が読み解ける!

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