なぜ『横浜市鶴見区』は関東の沖縄タウンと呼ばれるのか!?

神奈川県、横浜の端っこ。川崎とよく一緒にされる、横浜市鶴見区。
「多文化共生のまち」宣言をして沖縄以外の文化も入り混じる面白い町です。

なぜ「沖縄タウン」として知られるようになったのか?

横浜・鶴見沖縄県人会の歴史と密接に関わってきます。

大正末から昭和初めにかけて、多くの沖縄出身者が仕事を求めて鶴見にやってきました。本島北部、いわゆる山原(やんばる)出身者が多かったようです。やがて伊江、名護、本部といった出身地ごとに「島んちゅ会(郷友会)」が結成され、1928年(昭和3年)には名護出身者によって「鶴見沖縄会館」が建てられたという記録があります。

鶴見沖縄県人会が正式に発足したのは1953年。伊江、伊良部、今帰仁、名護、南山、羽地、美川、本部、与勝、読谷の10郷友会で組織されました。

 その後、1977年に「財団法人おきつる青少年育成会(現在の「一般財団法人おきつる協会」)が設立され、1980年には、3階建ての「おきつる会館」が建てられました。以後、会館は、県人会活動の中心となっております。

(横浜・鶴見沖縄県人会より)
おきなわ物産センター
横浜・鶴見沖縄県人会1階に店舗を構える
「おきなわ物産センター」
鶴見沖縄県人会館
横浜・鶴見沖縄県人会広報室「うりずん」

沖縄から仕事を求めて鶴見へ移り住んで来たのです。
そこからコミュニティが生まれ地域に溶け込み定着していったのでしょう。

2022年4月~9月まで放送されたNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」の舞台は、
沖縄が本土復帰する1972年前後の「沖縄」と「鶴見」を舞台に描かれたストーリーでした。
ドラマでも「鶴見の沖縄県人会」が何度も登場しております。

南米文化もチャンプルー

さらに、鶴見が面白いのは戦前から南米に移り住んで行った沖縄出身の方が日本に戻ってきて鶴見に多く暮らしているというチャンプルー文化なところだと思います。

沖縄×南米×鶴見が重なり合い、
他にはない魅力的な町となっています。

鶴見南米
鶴見×南米
ユリショップ
ブラジル料理屋「ユリ―ショップ」

私の沖縄、鶴見との出会いも、ちょっと特殊で
沖縄出身でもなく、鶴見出身でもなく、沖縄旅行でハマったという事でもなく、
たまたま鶴見にある「沖縄ショップぷからす家」で働くことになったという事がすべての始まりでした。
商売を通じて沖縄、鶴見をどんどん知っていって、どんどん好きになっていったという感じです。

知れば知るほど、鶴見という町は魅力があって、
沖縄の古くからの文化、芸能も受け継がれていて
沖縄県内以外では行われていない「沖縄角力大会」なども毎年開催されています。
おそらく、鶴見に住む沖縄出身の方たちはそれが当たり前で気づいていなかったのかもしれない。
私のように外から来たものには一つ一つが刺激的で見たこと無いものばかりでした。

沖縄角力大会
沖縄角力大会
鶴見ウチナー祭
鶴見ウチナー祭

なので、時代が移り変わっていっても、鶴見の歴史を伝え残すためにおじい、おばあが伝えてくれるうちに、街並みが変わらないうちに、残していこうと始めたのが
YouTube「鶴見でちむどんどんチャンネル」です。

沖縄タウン鶴見を描いたブランディングムービー『YouTube鶴見でちむどんどんチャンネルより』

昨年、鶴見区役所と一緒に立ち上げた「ちむどんどん横浜鶴見プロジェクト」の活動の一つでした。私はこのタイミングで始めないとこの先誰もやらないだろう、、という思いが強かったのです。

鶴見の町で商売を通じて出会った沖縄の方たち。
とても皆に親切にしてくれて、助けてくれて、応援してくれる。
私ができる恩返しは、伝えること、なのではと。

横浜の沖縄タウン「鶴見」とても面白い町です。
良かったらぜひ遊びに来てください。
予定が空いてたら私がご案内しますよ笑

横浜・鶴見沖縄県人会
1928年「鶴見沖縄会館」建設(提供:横浜・鶴見沖縄県人会より)

ゆんたっくん
ゆんたっくん

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