多文化共生のまち横浜市鶴見区におけるユンタクヤの地域活動取り組み事例
ちむどんどん横浜鶴見プロジェクト時の写真
鶴見区地域活動

先日『関東学院大学』社会学部の生徒さん向けに授業をさせて頂きました。

お話を頂着た時は、「え、授業なんてできないよ!」と思ったのですが、授業と言っても私が行ってきた地域活動の話をして欲しいという内容だったので、難しい知識を話すとかはできませんが、自分が行ってきた事なら話せるか!と、鶴見区での活動内容のお話をさせて頂きました。

関東学院大学

こんなタイトルの内容でお話しさせて頂きました。
授業をするなんて初めての経験だったのでドキドキしながら内容を考えました。大学生だった自分に聞かせるというイメージを固めたら、ふと原稿執筆も進みました。

自分自身を振り返ってみてさまざまな活動に突っ込んでいったなーと思い返しました。

私の場合は「商売を通じて」沖縄と出会い、鶴見に移り住み、知るほどに魅力にハマっていきました。

2004年に前職の繋がりで鶴見にオープンするという沖縄ショップで働き始めた事がすべての始まりでした。

当初は横浜市鶴見区「沖縄タウン」と呼ばれるまちであることは全然知りませんでしたが、
「人」「もの」「文化」「歴史」「伝統芸能」「観光」そして「沖縄タウン鶴見」の事まですべて沖縄商品の商売を行う中で出会って学んで、繋がってきました。

ぷからす家
私の原点「ぷからす家」
ぷからす家
現在小売りは行っておらず、業務用卸販売のみ

沖縄の事は右も左もわからない状態で沖縄ショップで働いておりました。
店に来るお客さん達は沖縄なまりのおじさん、おばさん達。最初は何をしゃべっているのか半分聞き取れなくて、冗談なのか、怒っているのか、表情もわからなかった。(大半は冗談を言っていた事に後から知った笑)

毎日が驚きの連続でしたね。。

ポーク缶の開け方も知らなかったし、ルートビアの味に衝撃を受け、へちまが食べ物というのも知らなかったです。三線の事なにも知らないくせに、三線上手なおじーにカラクイを売ってたり、、

売る側の店員がお客さんに教わりながら覚えていきました。

小売りも頑張りながら、鶴見には沖縄料理屋がたくさんある!という事をキッカケに
徐々に沖縄料理屋さんへの卸販売へシフトしていきました。
配達をするようになって、お店などに行くようになり地域との繋がりが増えていきました。

鶴見ウチナー祭

業務内容が沖縄食材卸へとシフトしていく流れで、沖縄メーカーと沖縄料理屋店主を結ぶ展示商談会をやろう!と企画し第一回目「ウチナー祭」を開催したのが2010年でした。
初めは、小さな会議室を借りて、会議テーブルにメーカーさんの商品を並べ商品を紹介するというものでした。10社くらいのメーカーさんと20店舗くらいの沖縄料理屋さんが来てくれたでしょうか。イベント企画運営というものが初めてで何を準備したら良いかもわからない完全な素人でした。
出店メーカーさん、来場者にご意見聞きながら、開催を続けていきました。

会場は貸し会議室から「横浜産貿ホール」に移り5回行いました。開催を重ねるごとに「飲食ブース」を広げたり「ステージで音楽ライブ」をおこなったりと展示商談会という要素から、お祭りの方向へシフトしていきました。

鶴見ウチナー祭
BEGIN兄さんたちがライブしてくれた2018年 鶴見ウチナー祭

年々盛り上がりが増していく中、店舗を構える鶴見区での開催がやはり大事なのでは!?と考えるようになり、鶴見区内の仲間や沖縄県人会、そして鶴見区役所も共催に入り2016年より場所を今の場所入船公園に移して「鶴見ウチナー祭」が始まりました。ここから一気に地域のイベントへと成長していきます。
「鶴見ウチナー祭」というイベントは、私にとってチャレンジする受け皿となってくれております。このイベントがあったからこその出会いもありましたし、大きな挑戦もでき夢も叶えられた。NHKの全国生中継などなかなか経験できないこともさせて頂きました。
2020年コロナ過真っ只中ではオンライン生配信6時間!
2021年はまだまだイベント自粛ムードの中、テイクアウトのみのイベント開催とその時できる限りの事に全力で取り組もうと考える事務局メンバーが素晴らしいし、祭りが成長するとともに私自身も本当に成長させて頂きました。

今年で10周年を迎えます。まだまだ頑張らなくちゃ、、

沖縄国際映画祭

ひとつの行動から、大きく発展していった例としては「映画制作」があげられます。
私は「映画制作」や「映像の勉強」などまったく経験がありません。
そんななにも知らない素人がひとつの行動がキッカケに面白そうな方向に進んで行ったら「映画制作しようか!?」となっていきました。

吉本芸人宮川たま子との出会いがすべての始まりでした。
彼女は当時「沖縄国際映画祭」の宣伝隊長に任命され、沖縄で開催されるこのイベントの宣伝を首都圏などで行っていました。私の所にも流れ着いてきて、一緒に沖縄料理屋さんを何件も周りポスター張りをしたりしました。

そんなこんながありまして、沖縄国際映画祭を観に行くことに。テレビで見るあんな人やこんな人、沖縄の有名なミュージシャンたちがライブをやって、盛り上がってる!こりゃ自分も何かこのイベントにもっと関わりたい。と思い、映画祭を各地域から応援する「つるみ応援団」を立ち上げ、翌年開催された映画祭の国際通りのレッドカーペットを歩かせてもらいました。

なにものでもない自分が華やかなスターが歩いた同じレッドカーペットを沿道にたくさんのお客さんがいる中、歩かせて頂き、なんとも言えない感動が沸き上がってきたことを覚えています。

と同時になにものでもないままじゃダメだ!という感情も沸き起こりました。

やはり映画祭なので「映画作品を作って参加したい!」と宣言し、「映画を作りたい」と発信しはじめ、渡辺監督と出会い、制作まで進んでいきました。

映画資金が潤沢にあったから制作した訳でもありません。ひとつひとつの行動の先に行きついたのが映画制作であって、資金を集めながらプロジェクトが進んでいきました。

「やりたい事の先に未来はある」という事なんだと思います。

沖縄国際映画祭

1作目「だからよ~鶴見」が出来るまでの記事は
コチラ
↓↓↓

ちむどんどん委員会

2022年NHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」が放送されました。舞台のひとつに「横浜市鶴見区」が選ばれました。自分の活動するエリアでしかも沖縄がテーマの朝ドラが放送されるとは、、なかなか無いですよね。
放送開始の約1年前くらいからプロジェクトを立ち上げ、鶴見区役所の方や地域自治会、鶴見沖縄県人会、大学や企業なども参加する一大プロジェクトへ!私も事務局長という役を頂き、各イベントへの出店やPR、YouTube公開などを行いました。

その時制作した鶴見区のブランディングムービーは
コチラ↓↓↓

ガレッジセールの川田さんにはアンバサダーとして入って頂き一緒に汗を流し、大学の先生や横浜の名だたる企業さんなどとも一緒に活動させて頂く貴重な経験となりました。

改めて、振り返ってみるとさまざまな活動に首を突っ込んでいきましたが、、(笑)
とにかく面白そうと思ったことは「やってみる事」
そして「継続する事」を大事にしております。
(※ファニーズ山城達樹さんの言葉)

関東学院大学
関東学院大学

学生さん達にとって数ある中のたったの一回の授業でしたが、少しでも心のどこかに残ればいいなーと思います。

私もまだまだチャレンジしていきます!

ゆんたっくん

沖縄タウン鶴見のキャラクター「ゆんたっくん」も大活躍中!

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